万葉集 巻二十 4445

鶯の声は過ぎぬと思へども染みにし情なほ恋ひにけり

***

(鶯の声を聴くことはなくなったのだが、
鶯の声が体に染み渡っていて、鶯を恋しく思うことよ)

この歌では、体に音が染み渡っていると詠われている。
音は聴いて終わりなのではなく、
体に染みて残るものだといえるだろう。
そのために、音を聴いていない状況でも、心の中で想像して歌を詠むことができるのだ。

「鶯」の音と「春」というように、音と対象を関連付けて記憶しているため、
音(鶯の鳴き声)を聴くことを望むことがそのまま、
関連付けている対象を望むことに繋がっている。

音への意味付けがされている。(合図としての音)

***

目に見えるもの(天気、人の姿etc...)を待ち望んでいることはあるが、
『音』を待ち望んでいることは、日常、ほとんどない。
しかも、
合図としての音ではなく、音楽としての音を待ち望むことがほとんどだ。

あの音が聴こえてきて欲しい。
あの音が聴きたい。

そう思う音。どんな音だろう。
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by hapipi_hapipi | 2005-04-02 22:06 | 音景色=本文=
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