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万葉集 巻二十 4516

新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事

***

(新しい年のはじめの、新春の今日に降りしきる雪のように、
 いっそう重なれ、吉き事よ。)

万葉集の一番最後に収められている歌。
天平宝字三年(759)の正月一日に家持によって詠まれている。
年のはじまりの歌。

***

通過点の一つだと分かっていても、つい。

これから先に待ち受けているのは、
必ずしも良いことばかりではないのだろうけど、
はじまりの今が幸せなように、
良いこと、幸せなことがどんどん重なっていくように。

***
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by hapipi_hapipi | 2006-06-25 13:32 | 季節=本文=

万葉集 巻二十 4310

秋されば霧たちわたる天の川石並置かば継ぎて見むかも

***

(秋になると霧が立ち込める。天の川に飛び石を置いたら、
いつでも会えるだろうか。)

明日は七夕。
今は「夏」だけど、古代では「秋」。

飛び石を駆けて会いに行く姿が浮かぶ。
霧が立ち込めていれば、
周りからは見えなくなり、自由に会いに行くことができる。
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by hapipi_hapipi | 2005-07-06 21:27 | 季節=本文=

万葉集 巻二十 4445

鶯の声は過ぎぬと思へども染みにし情なほ恋ひにけり

***

(鶯の声を聴くことはなくなったのだが、
鶯の声が体に染み渡っていて、鶯を恋しく思うことよ)

この歌では、体に音が染み渡っていると詠われている。
音は聴いて終わりなのではなく、
体に染みて残るものだといえるだろう。
そのために、音を聴いていない状況でも、心の中で想像して歌を詠むことができるのだ。

「鶯」の音と「春」というように、音と対象を関連付けて記憶しているため、
音(鶯の鳴き声)を聴くことを望むことがそのまま、
関連付けている対象を望むことに繋がっている。

音への意味付けがされている。(合図としての音)

***

目に見えるもの(天気、人の姿etc...)を待ち望んでいることはあるが、
『音』を待ち望んでいることは、日常、ほとんどない。
しかも、
合図としての音ではなく、音楽としての音を待ち望むことがほとんどだ。

あの音が聴こえてきて欲しい。
あの音が聴きたい。

そう思う音。どんな音だろう。
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by hapipi_hapipi | 2005-04-02 22:06 | 音景色=本文=